ハワイの伝統的禅堂を訪ねて(2)
◆最終日: 接心に部分参加
最後の日にはリトリート(接心)中の提唱が聞けるという事で出かけて行きましたが、その時は有名な「無字の公案」、中々の提唱に感激。
いや、なんといっても、提唱の中身がまったく日本の禅である事に驚きです。言葉が英語と言うだけ。これこそ禅の普遍性を語っていると思います。
提唱の後、禅堂を仕切る役割の人(直堂)が、外の廊下で静かに無言で私を待っており、正面に立った私を無言のまま師のいる部屋まで案内してくれました。
その時の様子は全く素晴らしく、全てがまるで完璧に予定されていた動きのように流れていくようでした。勿論私はその直堂の方と話したこともありませんし、ほとんど初対面と同じです。にもかかわらず、全てが予定されていたかのように流れていく・・・。自分のいる場所がハワイだという事を忘れてしまうような出来事でした。
ここまでハワイで禅を感じさせられるとは全くの予想外。この一件だけでも当サンガへ来た甲斐があったと言えます。
禅とはただ坐っているだけではなく、このような動きの中にもありありと感じ取る事の出来るものなのです。
「禅」・・・国籍も文化も越える真理の体現。
◆サンガの師との対談
そして当サンガの師、Michael Kieranさんとの対談。この中でも又そこがハワイである事などまるで忘れてしまう経験をしたのでした。
師の話によれば、ハワイでも最近の参禅者は昔ほど高い志を持って禅堂を訪ねてくる訳ではなく、心を落ち着かせるためや健康維持のためなど、より通俗的な目的のために来られるということを言っておられ、その点で少し残念に思うとの事でした。
私も坐禅をする以上は師と同感で、やはり高い志を持って坐っていきたい、その点でも言葉は少ないながらも気持ちは簡単に通じると思えました。
★ 終わり ★